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ストーリー

  (最終更新日:2020.11.16)

【第2幕】こうして私は母との関係をこじらせた

<下の子ばかり甘やかす母への憎悪>

多くの長女が、第二子が生まれてから母親との関係をこじらせていく。下の子ばかりをかわいがる母の気を引こう、注目してもらおうとご機嫌を取るべく「いい子」になっていく。しかし、いい子になってもその願いが叶うことはなく、いつしか母への想いは憎悪へと転換する。私の場合、父とも強烈に関係をこじらせていたので、最初の頃はどちらかといえば父が強烈に嫌いな長女であった。だがしかし、弟ばかり可愛がる母や父の罵声から守ってくれない母に対しても「愛されていない」という気持ちをつのらせ、日に日に憎悪を膨らませていった。今回は、母とのこじらせストーリーを紹介しよう。「母親をどこか見下している」あなたにもそんな思いがある場合には、ぜひ読み進めていただきたい。

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内向的な専業主婦の母

私と母は全く逆の性格をしている。

母は、友達付き合いも少なく、ずっと家で時代劇やB級映画を見たり、編み物や手芸をするのが好きなタイプ。

中学時代から時代劇が好きというちょっと変わったお嬢さんだったようで、世間一般のママさん方がときめく芸能人やアイドルには無関心の古風な母である。

こんな説明をすると、おっとりおとなしいご婦人かと思われるかもしれないが、育児・子育てストレスだったと思うがこの頃の母は、ヒステリックだった。

だから私は、ぶたれることも多く、驚くような行動で私の心は傷ついていった。

また、母はあまりロジカルなタイプではなく、質問に対しても関係ない答えが返ってきてよくイライラさせられた。

また、母の交友関係が狭いせいで私の計画が阻止されたこともあり、中学に上がるころには母を大嫌いになっていた。

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4歳 お祭り事件

私が3歳後半から26歳6月まで過ごした実家は、その地域の中で一番大きなマンションで住人も子どもの数も多かった。

そのことから夏場にはマンションの自治会と子ども会の役員が主催のお祭りがおこなわれていた。

事前に購入するチケットと引き換えに、子どもはヨーヨーすくいやスーパーボールすくいなどを楽しみ、焼きそばやフランクフルトなどの屋台も自治体のお父さんお母さん行い盛況だった。

さらに、マンション内の駐車場には、やぐらが組まれ盆踊りが行われたり、夜には豪華賞品が当たるビンゴ大会などが行われ、なかなかの盛り上がりをみせていた。

そんなお祭りを中学くらいまでは毎年楽しみにしていた私だが、そのお祭りにも私が「母から愛されていない」と思うようになったエピソードがある。

それは、マンションに引っ越してきたばかりの頃の話。

私の両親は自治体の役員となり、お祭りの実行委員をしていた。

当時の私は4歳。

お祭りももちろん楽しみだったが、母親と一緒にお祭りに参加すること自体がうれしかった。

弟が生まれてからなかなかかまってはもらえなかったので、ひそかに母と手を繋いでお祭りを見てまわることを密かな楽しみにしていたのだ。

いくつか子どもが遊べるお店を回った時、母と手を繋ごうとしたら、母は何かを思い出したようで私にその場で待つように告げ、どこかに行ってしまった。

戻ってきた母は、私とをつなぐこともなくあわただしく何かをしていた。

この時の幼き私は、手を繋いで回ってもらえない状況にまたしても「やっぱり私は大事にされてない」そんな思いをいだいたのだ。

手を繋いでもらえないなんてささいなことに思えるかもしれないが、このことがあまりにショックで大人になってもこの時の寂しさが思い出された。

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小2 自立を決意した片付け事件

「早く自立してこんな家、出て行ってやる!」そんなことを私が思うようになったのは、小学校2年生である。

「もうこんな家にいたくない!」そう強く思うようになったエピソードを紹介しよう。

あれは小学校2年生の時、整理整頓が得意ではない私は自分が作業できるスペースだけがある勉強机に向かって作業をしていた。

そんな私の元に母がやって来て「机を片付けなさい」と言ってきた。

その時の細かいやり取りはもう覚えていないのだが、おそらく私は反抗したのだろう。

母がブチキレて両手でバサーと私の机の上にあったもの一切合切を床に落としたのだ。

もう私はギャン泣きである。

机のものを全て落とされただけなら、 「もうこんな家にいたくない!」などと思わなかったと思うが、母がとった次の行動が私に自立を決意させる。

当時、Aくんが好きだった私は、学校で流行っていた恋のおまじない(消しゴムに好きな人の名前を書く)をしていたのだが、その消しゴムを見つけた母が私に向かって信じられない言葉と態度をとる。

「あんたは、A君か!あんたは自分の名前も書けないのか!!!」と言い放ち、その消しゴムを投げ捨てたのだ。

お年頃の私は、「娘の恋のおまじないをも理解せず、それを許さない母親なんて最悪だ!こんな人の心もわからない母親となんて一緒にいられない!早く経済的に自立して家を出てってやる!」そう泣きじゃくりながら心に誓ったのだ。

この一件から、私は、小学校2年生ながらに早くこの家を出ていくために、しっかりしなきゃと頑張るようになる。

そして、この家に私の居場所はないと強く思うようになっていった。

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小2 マンガ家に憧れた夢を絶たれる

小さいころから絵が描くことが好きだった私。

同じマンションに住むTちゃんと遊ぶなか、彼女の家にあった子ども向け雑誌の裏に、漫画家になるための無料教材の広告が掲載されていたのを発見する。

親に言ってもわかってもらえないと思った私は、Tちゃんにお願いして秘密でこっそりその教材の申し込みをする。

だがしかし、その教材が家に届いた時に悲劇が起こる。

今なら当たり前だが、教材が届いたら受け取るのは母である。

案の定、教材を受け取った母に「なんでこんなものを請求したのか」と詰め寄られ散々なまでに怒られた。

怒られながら小学校2年生の私はこんなことを思っていた。

どうして「ちゃんと相談してくれればいいのに」とやさしく言ってくれるような母親ではないのだろうか。

「理解のあるお母さんだったらどれほどよかったか。」そう思いながらポロポロと涙を流していた。

結局、その教材は開封されることなく捨てられ「漫画の勉強をしたい」という願いは断たれた。

そしてこの日この時、私の母は私のやりたいことを邪魔する存在になった。

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小4 怒るとすぐに手を挙げた母

うちの母は、私の態度や行為に腹が立つとよく私を叩く母であった。

顔をぶたれることはなかったが、良くお尻を叩かれた。

子どもながらに意外と冷静な思考をする私はある時、母のイライラ度合で叩かれることが腑に落ちず、いつものように私を叩こうと手を上げ近づいてきた母にこういった。

「ぶちたければぶてばいい!」

いつもなら、叩かれたくなくて体をかばうように怯えるだけだったが、この日はこのセリフと共に、母の前に立ちはだかった。

そうすると母は、私を叩くことなく、振りあげていた手を降ろした。

その後、母がなにかを言ったかどうかは覚えていないが、この日から母が私を怒りという感情に任せて叩くことはなくなった。

母もこの時、自分が感情に任せて叩いていたことに初めて気がついたのだろう。

感情が高ぶると自分の行動を冷静に見ることはできないものである。

この日初めて私は、親子であったとしても、おかしいと思うことには「NO!」を突きつけなくてはいけない、自分の身は自分で守らなくてはいけないと学んだのだった。

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小4 弟を可愛がる母への不満

さて、先ほどの母親に「NO!」を突きつけることを学習した私は、これまでずっと不満に思っていたことに対しても抗議をしようと心に決める。

何を抗議したかというと「弟との扱いの差」についてである。

弟をもつ長女なら同じ経験をしていると思うのだが、同じことをしても圧倒的に弟に甘い母に対し私はずっと不満を抱えていた。

なのである日、母に対してこう抗議してみた。

「弟への態度と私に対する態度が違うんだけど!」

この私の抗議に対し母はこう答えた。

「やっぱり男の子のほうが可愛く思えちゃうのよ。女の子は、なんだか同士って感じがしちゃって。」

この言葉に私は、愕然とする。

あわよくば、母がその態度を改めてくれるのではないかと期待していたもくろみが破れさった。

しかも、常々感じていた「愛されてない感」に引導を渡されたのだった。

この話を、30代に入ってから母にしたときに「そんなことは言ってない」と言われることになるのだが、また後日別の聞き方をしたら「男の子のほうが可愛い」とやっぱり言っていた。

もうこれは下に弟をもつ長女の宿命として受け入れるしかない。

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小3 お願いが通った嬉しさから一変、地の底へ

小学校時代、仲良くしていた女の子の家に行くと「学研の科学」という雑誌がおいてあり、ある時私もその本についている付録などをやってみたくなった。

母に、「Tちゃんがとってる勉強の本を私もとって欲しい、名前はたしか学研の科学」とダメ元でお願いしたところ、意外とあっさりOKが出た。

勉強本だからOKだったのだろう。

私としてはお願い事を聞いてもらえたことがうれしく、そして工作好きの私は、本についてる付録(実験系)ができるかと思うとホクホクした気持ちになった。

そして、念願の荷物が届いた日、私はあまりのショックで地の底に落とされることとなる。

なぜかというと、母が私に手渡したものがオーダーと違ったのだ。

私は学研の科学(付録付き)を頼んだのに、母が私に手渡したのは、ガチの学習本「毎日の学習」通称マイガクだったのだ。

あまりの衝撃から、何度も何度も「もしや学研の科学なのか?」と思い、手渡された冊子を何度も見たが、Tちゃんの家で見たものとは全く別物だった。

もちろん母には「これじゃない!」と訴えたが、「あんたがやりたいっていったんじゃない」の一点張り。

こちらの話などちっとも通らなかった。

この「毎日の学習」通称マイガクが私の今後の私の人生を大きく狂わせることとなる。

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小3~小6 恐怖の採点タイム

私がオーダーしたものとは全く別物だった毎学(マイガク)。

両親からすれば私がやりたいと言い出したもの。

それを放棄することなど許される訳もなく、毎週毎週何ページやるようにという宿題が出された。

最初の頃は自分で採点していたのだが、さぼっていることがバレ、母が採点をするようになったのだ。

そこからが私のセルフイメージがガタ落ちとなる恐怖の日々が始まるのだった。

勉強が好きじゃない私は、なかなか満点が取れない。

特に国語が大嫌いで、文章問題の文章さえまともに読み切ることができない。

そんな私の記述問題への回答は、一向に正解することなどなく、何度も何度も母から×(バツ)の採点を食らうことなる。

ただ単に、×(バツ)が書かれた毎学(マイガク)を手渡されるのならよかったが、夜な夜な採点する母がブチ切れて「なんでこんな問題もわからないんだ!」と怒り狂う声が聞こえてきたのだ。

リビングで採点をする母の声は、リビングの隣の部屋で眠る私にはまる聞こえで、布団に入りながら恐怖に震えた。

あまりにもボロカスに言われ、本当に問題がよくわからなかった私は、何度も布団の中で涙を流し、自分は「母に嫌われているんだ。愛されてないんだ。」という思いをつのらせていった。

また、毎学(マイガク)を終えるまでは遊びにも行かせてもらえない時期があり、友達が何度も何度も家に訪れ「もう終わった?遊べる?」と聞いてくるのに対し、断ることが苦しく、とても屈辱だったのを今でも思い出す。

「そんなに嫌ならやめてしまえばいいのに」そう思うかもしれないが、当時のわたしにはそんな恐ろしいことはできなかった。

手違いではあったが、私が望んでやりたいといったものを自ら嫌だからやめたいなどと言おうものなら、二度と私の願いは聞いてもらえないし、そんなこと言ったら父に殺されると本気で思っていた。

だからやめたいとも言えず、やるのもイヤだし、夜の採点タイムはもっとイヤで恐怖でしかなかった。

そんな時間を小3~6年まで過ごしていた。

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おわりに

さて、「こうして私は母との関係をこじらせた」はいかがだったでしょうか。

母親との関係で私と似たような思いをしている長女は多いのではないでしょうか。

最近分かってきたことなのですが、下の子が男の子の場合長女の憎悪は母に向けられ、下の子が女の子の場合長女の憎悪は次女に向くようです。

なので上に姉を持つ次女というのも、こじらせ長女と同じように自分の心を見失ったまたおとなになるようなので、こじらせ長女と同じくケアが必要だと感じています。

私は小さいころから母のヒステリックな態度を見ていたので「きっと母は子育てが嫌だったのだろう」とずっと本気で思ってました。

だけど35歳以降の親子関係修復期間の中、母の口から「子育ては楽しかった」という言葉を聞きビックリ仰天したのを今でも覚えています。

多くの親子が、「言わなくてもわかるだろう」という想いや私たち子ども側が小さいときの記憶のまま「言ってもどうせ話を聞いてくれない」という思い込みをもったままコミュニケーションをしっかり図ることなく過ごします。

これがすべてのこじらせの原因だったと今でははっきりわかります。

子どもの頃の恐怖心や心の傷をしっかりケアして、大人として冷静に両親とコミュニケーションを図れるスキルを持つことがとても大事になります。

そのためにも、しっかり自分の心と向きあう強さが必要なのです。

COJILabo.編集長 長女研究家 櫻本稀子(さくらもときこ)

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この記事を書いた人

長女研究家 櫻本稀子
長女研究家 櫻本稀子
1980年4月2日生まれ。スピリチュアル・ビューティーサロン代表。弟が生まれた3歳から「両親から愛されていない」と思い込み、長女をこじらせはじめる。だが、2015年に受講した「アデプトプログラム」をきっかけにたった2年半でこじらせた親子関係を修復。その経験から長女特有の「ネガティブパターン」に気がつく。このパターンを全ての長女が理解すれば「みんながもっと簡単に幸せになれる!」と思い、長女研究家として本サイトCOJILabo.にて長女が幸せになるコツを配信中。→詳しいプロフィールはこちら

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