<彼のいない世界で二度と幸せになれない>
「この人の為なら自分の命など惜しくもない」本気でそう思ったことはあるだろうか。私はこれまでの人生で心の底からそう思えた人に出会った。だがしかし、彼は私が19歳の時に事故でこの世を去ってしまう。最愛の人を亡くし私の精神はズタボロになり生きている意味を見失う。多くの人は、最愛の人を失った時にその事実とどう向き合ったらいいのか分からず長きに渡り悲しみの底でもがき苦しむことだろう。私も彼を失い15年以上、苦しみを抱えて生きてきた。そんな私がどうやってその苦しみと向き合ってきたのか2回に分けてお伝えしよう。
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目次
第一印象は最悪
彼との出会いは中学2年生の14歳。
彼はやんちゃで学年でも目立つタイプだったので、存在だけは知っていたが正式に出会ったといえるのは同じクラスになった時だった。
彼はやんちゃだったので席替えで隣になった時には、正直「げげっ」って思ったくらい。
隣の席になった最初の頃は中2の男子らしいく、くだらないとしか言いようのないいたずらをしてくる彼にうんざりしていた。
学年で1番早い4月2日生まれの私と2月生まれの彼では、精神年齢の差は5歳以上あっただろう。
彼に対する最初の印象は「最悪」である。
プリントが互いの心を繋いでいく
何がきっかけだったのか、今では思い出せないのだが隣の席になってしばらくしてから授業中に配られるプリントの切れ端に互いに手紙を書き合うようになる。
はじめの頃に何を書いていたのかも忘れてしまったが、この手紙のやりとりを通じて次第に仲が深まっていった。
面白いことに、この年は席替えをするたびに隣の席になるといっていいくらいよく隣の席になったのだった。
隣の席になるたびに手紙のやりとりを繰り返し、次第に「心と心が繋がってる」と心の底から思えるようになっていく。
恋心は抱いていなかった私は彼のことを「親友」ではなく「信友」と呼んでいた。
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プレゼント交換
春休み中に誕生日が終わってしまう私にとって「友人との誕生日プレゼント交換」は苦手なイベントだったのだが、彼とだけは誕生日にプレゼントをするようになる。
といっても、彼の誕生日である2月にお互いに交換するのだ。
中学2年生だった1994年、私はオリックスで200本安打を達成し一躍有名になったイチロー選手に夢中で「大人になったら嫁になる!」と意気込んでいた。
そんな私に彼がくれたプレゼントはイチロー選手の下敷きだった。(下敷き、なんて懐かしい響きなんだろうか)
私から彼へのプレゼントは、食べ物を要求されたのでお菓子つくて渡していた。
クラスが離れるも
中学3年生のクラス替えで残念ながら彼とは別のクラスになってしまう。
そして、中学3年生になると互いに好きな人ができる。
私は同じクラスの男の子を彼は私のクラスの女の子を想っていた。
だが、お互いに好きな人はいるけど「愛してる」と伝え合い、時には喧嘩しながらにじゃれ合い、手紙を書いては交換し、時々2時間くらいの長電話をしていた。
クラスは離れても、お互いに信頼関係を深めていく。
忘れられないホワイトデー
中学3年生のホワイトデーは今でも忘れられないエピソードがある。
何だかんだ人気があった彼はバレンタインに複数の女の子からバレンタインチョコをもらっていた。
そして私も昨年に引き続きバレンタインチョコを渡していた。
この年は、彼のことを好きだという女の子から相談を受けていたのでホワイトデーにお返しをちゃんとしたのか気になり、彼にバレンタインをくれた女の子全員にちゃんとお返しをしたのか尋ねてみた。
そうすると彼が「お前にしかお返しする気にならなかったから他の誰にも返していない」と答えたのだ。
この時の私は、彼を好きだという女の子に協力していたのでこの言葉が複雑だったが、中学を卒業してからこの言葉が私にとって大切なものになっていく。
この時彼がくれたプレゼントは大切にしまってある。
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卒業後の二人
中学卒業後、お互いに別々の高校へと進学する。
当時はポケベルが流行していたが、私はそんなものは持っていなかったので彼との連絡は変わらず手紙か電話だった。
ちなみに、高校男児が便箋など買うのか?という疑問を持つかもしれないが、私が手紙を書くときに返信用の便箋を入れて送り、それに彼が手紙を書いて送り返すというシステムだった。
また、この頃の彼は駅ビルの食品売り場にあるお店でアルバイトを始め、私は時々そこに顔を出し話をした。
中学時代のように頻繁に会うことはなかったが、どんなに離れていても心と心は繋がっていると感じていたのだった。
最後の長電話
高校卒業間際、彼と久々に電話で話す。
彼はスノーボードの選手になる夢をもち新潟の専門学校に進学を決めていた。
私は中学の美術の先生になる夢をもち都内の短大に進学することになっていた。
久々の電話では互いの近況やたわいのない話をする。
話しているだけで心が安らぎ、深いつながりを感じられた。
この時の電話が彼と話す最後になるとは夢にも思わず、私は彼との会話を楽しんでいた。
この電話で彼が私に言った忘れられないセリフがある。
それはこのセリフ。
「稀子が1番優しい。」
なぜ、この言葉が忘れられないかというと、中学時代から好きなタイプの異性は「とにかく優しい人」と言い続けていた彼の中で1番となったからだ。
この時は特に気にすることなく「ありがとう」と答えたが、彼の最高の愛情表現だったと今の私は受け取っている。
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知らせは突然に
短大に通い始めた私は、入学当初から4年制の大学への編入を考えていたので毎日忙しく過ごしていた。
そしてそんな中、彼に告白するか少し迷っていた。
高校時代につき合った彼とは残念な形で別れ、自分にとって一番大切なのは誰かを考えた時に1番心のつながりを感じる彼だと気がつく。
それまでは「男女の友情」にこだわり、好きだという気持ちを押し込めていたのだと思い始める。
だが、彼がどう思うかは分からない。
せっかくのいい関係が壊れるのが怖くて、私の気持ちを綴った手紙を書くがそれを出す勇気は持てなかった。
手紙を出すか出さないか迷う中「結婚とかを考える年になってから告白するのでいいじゃないか」と思うようになり、私の気持ちは静まった。
しかし、私が彼に想いを告げる日は二度とやってこなかった。
1999年5月。
大学での授業を終え、帰宅した私を迎えた母の口から彼が事故で亡くなったことを知らされる。
冷たく動かなくなった彼
母から彼が事故で亡くなったと同級生から電話があったという話を聞き、気持ちが動転しながらも同級生が伝言を残した集合場所に向かう。
集合場所に行ってみると知り合いの姿はなく、本当にここでいいのかと心底不安になった。
しばらくすると知らせをくれた友人が現れ、一緒に彼の自宅へと向う。
この日、彼の最後の姿に会えたたのは本当に奇跡だった。
なぜかというと中学卒業後も私たちは互いに信頼とつながりを深めていたが、それを知っている友人が1人しかいなかったのだ。
その1人が気を利かせて私の実家に電話をしてくれていなかったら、私は彼が亡くなったことさえ知らないまま過ごしていたかもしれない。
彼の自宅に着き彼の部屋に通される。
事故だと聞いていたが棺の中に横たわる彼の顔はとても綺麗だった。
今にも起き上がって「どうしたの?」とか言いそうなのに、頬をさわると驚くほど冷たいのだ。
あの日の彼の姿とその冷たさは、15年以上経つ今でも忘れられない。
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社会的死という恐ろしさ
その後、お通夜と告別式の日取りが決まり告別式には出かけることにした私。
だが、その告別式に行くことで私の心はさらにズタボロに傷つくこととなる。
なぜかと言えば、私は全くの蚊帳の外の存在だったからだ。
彼の両親には私と彼が仲が良かったことは知られておらず、式の間、彼のそばにいたのは小学校の同級生と中学の部活の友人、そして彼の元彼女だった。
彼らの姿を遠くから見つめながら、彼がいなくなってしまった今「私と彼の関係」を証明できる人がいないのだと思い恐怖に震えた。
彼を失ったことに加えこの事実が私には大きなショックとなった。
ただひたすら遠くから式の様子を傍観していた時の情景は今でも鮮明に蘇り何とも言えない気持ちになる。
一気に心に大きなあながぽっかりと空いたのだった。
彼の両親に存在を知られていなたかった私は、彼がどこでどのように最後を迎えたのかさえ今だに知らない。
知っているのは、山の中で友達同士で車に乗り、スピードを出して激突したこと。
車での事故だったと知った私は、たった1つのことだけどうしても知りたいと思い、それを知った私は人生で最も醜い感情を持つこととなる。
それについては後半で話そう。
COJILabo.編集長 長女研究家 櫻本稀子(さくらもときこ)
この記事を書いた人
- 1980年4月2日生まれ。スピリチュアル・ビューティーサロン代表。弟が生まれた3歳から「両親から愛されていない」と思い込み、長女をこじらせはじめる。だが、2015年に受講した「アデプトプログラム」をきっかけにたった2年半でこじらせた親子関係を修復。その経験から長女特有の「ネガティブパターン」に気がつく。このパターンを全ての長女が理解すれば「みんながもっと簡単に幸せになれる!」と思い、長女研究家として本サイトCOJILabo.にて長女が幸せになるコツを配信中。→詳しいプロフィールはこちら
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