優等生からの転落アイキャッチ画像

ストーリー

  (最終更新日:2020.11.16)

【第8幕】こうして私は優等生から転落した。受験の恐怖。

<偏差値という凶器>

「受験」人生で二度と体験したくないイベントである。受験という強烈な他者との比較ががあるからこそ、多感な時期の若者に心の「闇」が生まれ、大人になって「こじらせ」を発動させるのだ。学生時代の私は、受験に対してそんなに大きな疑問を持ってはいなかったが、今ではとても「危険な人生行事」の一つだと思っている。第7幕までのストーリーで3歳から高校1年生までの私のこじらせストーリーを紹介してきたが、今回は「受験」というテーマでお話しよう。受験を通して私は優等生から転落の一途をたどっていく。

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はじめての受験

私が最初に受験を経験したのは中学校3年生。

中学時代、当時の美術教師に憧れて「中学校の美術の先生」を目指していた。

そんな私は公立の進学校を目指ざそうとなんとなく考えていた。

子どものお受験に熱心な親も多い中、我が両親はあまり受験事情に詳しくなく、当時通っていた塾の塾長に聞いたり、自分で調べたりして何をするべきなのかを手探りで知るしかなかった。

日頃は勉強しろとうるさい両親も、受験方法については何も教えてくれない現実に当時の私は少しイライラし不満をいだいていた。

今なら、お金を稼ぐ大変さも知り、塾や模試、入試にかかる費用というかなりのお金を使わせていただいたことに感謝でしかない。

話を戻そう。

とりあえず受けてみたい学校を定めた私は、埼玉県民にはおなじみの「北辰テスト」なるものを受けた方がいいと知り、友達と一緒に北辰テストを受けに行く。

長女特有の外面のいい「いい子ちゃん」だった私は、中学時代はそれなりに勉強もできて成績は悪くはなかった。

しかし、学校のテストと違って埼玉県内の私立公立合わせた中学生全体となると試験結果はシビアである。

それなりに勉強ができると思っていた自分が、実はそうではないという恐ろしい現実を突きつけられる。

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初めての受験は、推薦制度に救われる

北辰テストの結果通知に記載された自分の偏差値に、無駄に高かった私のプライドはズタズタに傷つけられることとなる。

学校の友達の中でできあがっていた、「頭がいい稀子ちゃん」のイメージは崩せない。

そんなプレッシャーがのしかかる。

学校の中ではテストの点数で上位に入っても、しょせん井の中の蛙だったのだ。

しかも私の場合、テストのためにだけ頑張って暗記し、すぐにすべてを忘れるを繰り返していたので、お受験は私にとって乗り越えられるか不安なものとなった。

ただ、この年はラッキーなことに、埼玉の公立高校にも推薦制度が導入さる。

真面目で先生からも可愛がられ、美術と書道で賞状をたくさんもらっていていた私は、この推薦制度のおかげで、お受験に苦しまされることなく偏差値60以上の所沢北高校という進学校への入学を果たす。

勉強よりも内申点としゃべりに自信があった私にとっては、本当にラッキーなできごとだった。

なお、2017年現在、所沢北高校の偏差値は66~68。

私が通っていたころより偏差値が上がっている。

絶対にもう入れない!!と言うか、今回自分が受験した年を調べてみて、今から20年も前な事実に怯えた。

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中学時代に成績が学年上位だった私も高校では

そんなわけで、高校受験は奇跡的に苦悩することはなく終えられた私。

ただ、本来の偏差値よりもはるかに高い進学高校に入ってしまったので、これまで学年で成績上位に位置していた私も学年で真ん中より下にしか入れなくなる。

特に、物理は苦手すぎて人生初の赤点を取ることになる。

今思えば、問題を解くことよりもノートや参考書をまとめることに時間を費やし、無駄な満足感を得るだけの勉強法を繰り返していたことが敗因だろう。

今なら、ノートまとめなんて無駄なことはせず、問題を解きまくることだろうに。

文化部のインターハイへ

さて、推薦で入った私は、やはり何かしら入学した高校で結果を残さなくてはならない。

別にそれを強制される訳ではなかったが、真面目な性格だったので何かしら結果を残さねばと考えていた。

その点は、高校3年生の時に私が描いた油絵が「全国高等学校総合文化祭」、通称「全国展」への出展作品に選ばれたので、その役目はしっかり果たせたと言えよう。

「全国高等学校総合文化祭」は、全国から各都道府県を代表する高校生が集結し、美術作品の展示や演劇・音楽の舞台発表などの芸術・文化を披露する、日本の高等学校の文化の祭典。文化部のインターハイと言われている。

私が参加したのは、1998年の夏。この年は鳥取で開催され、国のお金を使って鳥取旅行を楽しめた。(笑)

なお、この全国展への出展は所沢北高校美術部始まって以来、初のできごとだったので運動部の全国大会のように横断幕が校舎に飾られ、壮行会もしていただくこととなる。

今まで全国展は、本格的に美術を学んでる高校とも競うことになるので普通科の高校からは無理というような認識であったが、それを突破したことでみんなの意識が変わったのか、翌年は後輩が出展されることとなった。

この時の作品は、所沢北高校に置きっぱなしになっているので、今はどうなっているのか不明である。

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何でも初体験の長女は損

高校では全国展出展という結果を残すことができ一安心した私であったが、教育学部がある国立大学に行こうと思っていた私に初の本格的な受験という壁が立ちはだかる。

高校受験もそうだったが、「学生の仕事は勉強!バイトなどせず勉強しなさい」という考え方の両親も受験の仕組みなどは良く知らないようで、またまた手探りで大学受験には何をしなくてはいけないのか調べなくてはならない状況にイラついた。

特に「どこ大に行け!」と言うようなことは言わず、予備校にも通わせてくれたことは今となれば感謝だが、当時の私としては色々と小言は言うのに大事な時に放任する両親に対しイライラしていた。

何でも初体験の長女は損だとこの受験を通して感じていた。

私は中学校の美術の先生になりたかったので、教育学部の筆記試験のほかにデッサンという実技試験も必要だった。

なので、予備校は筆記対策の予備校とデッサン対策の美術予備校の2カ所に通うこととなった。

美術予備校には、デッサン用の道具などをもっていかなくてはならず、学校の勉強道具とは別に大きな荷物をさげて通学していた日々が懐かしい。

今となっては大反省だが、高校生当時の私は予備校代がいくらかかっているかも稼ぐことがどれほど大変かも知らず、自分の将来の為なのに「めんどくさいな」と思いながら、先ほど話に出た美術展に出品する作品のために予備校を休んだりもしていた。

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認められることに必死になる

大学受験の勉強法も変わらず「まずはノートをまとめよう!」という、今だったら「絶対そんなことしてたら、受からんぞ!過去問解きまくれ!」と突っ込みをいれてやりたい勉強法を続けていた。

また、高校では、苦手科目の先生に放課後個別に勉強を教えてもらったり、予備校でも居残りをして質問などをしていた。

だがそれも、今から思えばすべて「いい子ちゃんのポーズ」でしかなかったと大反省である。

先生方からは勉強熱心な子として映るが、私の成績は一向に伸びない。

さらに、小・中学校と優等生で過ごしてきた私は、変なプライドが高く、高校での自分の学力を正しく認識ができないというか受け入れられない心理状況だった。

模試や予備校での試験結果が悪いのに、そんな現実を受け止めることなく、第一希望を東京学芸大学(偏差値50~65)、第二希望を埼玉大学(偏差値50~58)としていた。

偏差値60代の高校に行ってるのだから、それくらい行けるという幻想に溺れていたとしか思えない。

そんな私が受験でどうなったかと言うと、なかなか悲惨である。

変なプライドがガタガタに崩れ去り、人生初の挫折感を味わう。

当時の私は、父が大学院卒、母が短大卒であり、当時両親大嫌いなこじらせ絶頂期でもあったため、「父に認められること」「母を超えること」に必死だった。

なので、「国立四大」しか私の脳裏にはなく、「短大なんてありえない!そんなに私はバカじゃないもん!」そう思っていた。(ほんとスミマセン。。)

そんなことを考えていた私に最初に現実を突きつけてきたのは、なんと美術予備校側の担当講師だった。

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美術予備校の担当講師に人生を救われる

美術予備校で担当講師との面談日、無駄に高い私のプライドがへし折られる。

その時の会話はこんな感じである。

講師:「で、どこが志望校なの?」

私:「東京学芸大学と埼玉大学です。あと私立の東京家政大学です」

講師:「あのさ、お前の今の偏差値なら、滑り止めに短大も受けないと無理だぞ。」

私:無言・・・

担当講師に短大もと言われてものすごくショックを受け、反抗心がメラメラとわいてきた。

だがしかし、わたしも薄々ヤバイ!と感じていたのだろう、予備校の講師に言われたからという理由で、女子短大も受けることを親に告げた。

まあ、この後私に起こったことを考えると、この講師には、「あなたには一生足を向けて寝れません!」レベルで感謝である。

この担当講師の冷静で現実的な一言が無ければ、地獄の浪人生活で人生ドロップアウトしていたかもしれない。

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優等生からの転落、浪人を決意

もうお分かりかもしれないが、偏差値60以上の高校に通いながら、なんと私は最終的に偏差値30~40の私立短大にしか合格できなかったのだ。

私が通っていた短大は公表しているので、誤解なきよう伝えるが、東京家政大学短期大学部は、学部によって偏差値に大きな差があった。私は当時偏差値30~40くらいの学科に入ったが、ほかの学科によっては偏差値50以上だ。

ましてや四年制の東京家政大学に至っては、学部によっては偏差値60以上である。

さて、偏差値60以上の進学校に通いながら、偏差値30の最も嫌だと毛嫌いしていた短大にしか受かれなかったこの事実を受け止めきれなかった私は「浪人しよう!」そう決意する。

ただ、浪人するにはお金もかかる、両親の許可を得なければならない。

母に浪人したいと話すと、案の定「お父さんにきいてみなさい」と言われ、父に浪人したい旨を告げることとなる。

意外にも娘のことを理解していた父に驚く

この時の私は、こじらせ絶頂期。

両親から理解されない、愛されてないと思っていたのだが、人生で初めて「お父さん意外と娘のことわかってんじゃん」と感心するできごとが起こる。

父に浪人したことを恐る恐る告げると父は、自分の浪人時代の苦しさと次のようなことを私に告げた。

「稀子は、家にこもってコツコツ勉強するより、今受かってるところに行って大学への編入を目指した方が合うのではないか」

この言葉に正直私は驚いた。

こんなにも私の特性を把握していたとは夢にも思わなかったのだ。

父の言葉を受け、若干残念に思う部分もあったが、短大入学時より編入を目指そうと東京家政短期大学部服飾美術学科への入学を決める。

大学受験を通して私は「自分は思っていたよりバカであったこと」を知る。

無駄に高いプライドが折られる挫折体験であったが、「父が意外にも私の特質を理解していたこと」 を知る嬉しい体験も味わうことができた。

短大に入学した私は、入学当初から4大への編入を目指し頑張ることとなる。

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おわりに

さて、私の成績優秀な優等生からの転落ストーリーはいかがだったでしょうか。

長女研究家になった今、「第一子である長女は、全人類の中で最も思い込みが激しく、無駄にプライドの高い生き者である」ということが分かってきました。(もちろん私も第一子の長女ですのでご安心を)

この事実を受け止めて自らの思考や行動を修正できるかが、長女が「幸せになれるか」「こじらせ人生を突き進むか」の大きな分かれ道になっていきます。

今回のストーリーの中でいうなら「頭がいい稀子ちゃんのイメージは崩せない」と思っていたあたりが、思い込みの激しさの表れですね。

この思い込みの激しさは別の言葉で表すなら「自意識過剰病」です。

みんなが私のことを気にしてるはず、注目されてるはず、期待されてるはずという自意識が過剰な状態が長女は発動しやすいもの。

厳しいようですが「いや、あなたのことなんか気にしてませんし」というのが、世間から見たあなたに対する認識なのです。

そんななか「自意識過剰病」になってしまうのは、第一子長女が「注目されることを一番の喜び」としてとして生まれることを決めてきたからと言えます。

なので、その想いをきちんとマネジメントできることが大切なんですね。

また、プライドも高く現実をそのまま受け入れられない癖もあるので厄介なのです。

私の場合、模試の結果を受け入れられず無謀な受験に挑んだあたりがそれに当たります。

きちんと事実を事実として受け入れることも長女が幸せになるポイントです。

今回のお話を読んで、「うっ。図星。。思い当たることがある」と思ったら、少しずつでいいので変えていってみてくださいね。

COJILabo.編集長 長女研究家 櫻本稀子(さくらもときこ)

この記事を書いた人

長女研究家 櫻本稀子
長女研究家 櫻本稀子
1980年4月2日生まれ。スピリチュアル・ビューティーサロン代表。弟が生まれた3歳から「両親から愛されていない」と思い込み、長女をこじらせはじめる。だが、2015年に受講した「アデプトプログラム」をきっかけにたった2年半でこじらせた親子関係を修復。その経験から長女特有の「ネガティブパターン」に気がつく。このパターンを全ての長女が理解すれば「みんながもっと簡単に幸せになれる!」と思い、長女研究家として本サイトCOJILabo.にて長女が幸せになるコツを配信中。→詳しいプロフィールはこちら

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